近年、ウィリアム・シェイクスピアの『リア王』の上演があいつぎ、私たちの心に刺さる現代的な解釈が評判を呼んでいます。
親子のすれ違い、老いへの不安、権力の危うさ――。400年以上前に書かれた物語が私たちの胸を打つのは、その問いが決して過去のものではないからでしょう。
イギリス演劇の研究者・米谷郁子先生にその魅力の真髄を伺います。今回は【前編】をお届けします。
現代にも起こりうる父と子の深い葛藤
『リア王』は、老いた王と3人の娘の悲劇として知られていますが、実はリア王家とグロスター伯爵の家族、ふたつの親子関係が交錯する物語です。どちらの父も子に裏切られ、権力から転落していく運命をたどり、その過程で自らや周囲の人々の真実を知ることになります。
「『リア王』に描かれる父と子の不信やすれ違いは、現代の家族にも起こりうる問題です。リアの長女や次女、あるいはグロスターの庶子エドマンドは悪役として語られがちですが、観客が、親か子どもか、どちらの視点で上演を観るかによって、作品の見方も異なってきます」
今年9月には、中村芝翫さん、内野聖陽さんがそれぞれ主演を務める、ふたつの『リア王』の幕が開きます。数年をかけて上演が続いている現在の背景について、米先生の分析を伺うと、
「世界ではいま、覇権を握る高齢の男性指導者たちが、社会に不安定をもたらしています。政治に関心がない人も無関係ではいられなくなるような、まさに『政治の季節』です。絶大な権力を持つ王と、その暴走や衰えに周囲がどう向き合うのか。『リア王』は現代の観客にとって、実人生に関わるような、リアルな問いを投げかける作品だと言っていいでしょう」
そして、その上演を可能にしているのはリア王を演じる、現在の日本の名優たちの存在です。
「間違いなく『リア王』は円熟期の俳優しか担えないタイトルロール。俳優にとっても、技術と経験が問われる究極の挑戦です。今年5月に上演された長塚圭史さん演出では戯曲の冒頭場面をカットして、いきなり吉田鋼太郎さん演じるリアの慟哭から始まりました。藤原竜也さん演じるエドガーとリアの外見が似ていて、ふたりの俳優の絆と彩の国シェイクスピア・シリーズの歴史も感じさせましたね」
リア王は多様な表情を見せる人物。強権的な支配者、判断力を失っていく哀れな老人、どん底に至って初めて真実に気づき不器用に娘を愛する父親――。
「ひとりの俳優が、リア王という巨大な役に向き合う貴重な記録として、俳優・山﨑努さんの著書『俳優のノート』があります。1998年、東京・新国立劇場『リア王』上演の折、翻訳者や演出家、スタッフたちと試行錯誤を重ねた創作の過程が日記形式で克明に記され、作品そのものの奥深さも感じさせます」
『俳優のノート』
山﨑努 著 ¥825 文春文庫






