フォトグラファーの中川氏が、憧れの人の本当の姿を引き出す「まことのはなし」。今回のゲストはモデルとして活躍しつつ、服や雑貨のプロデュースも手がける桐島かれんさんを迎えました。後編では話題となったあのバンドのお話、そして還暦を迎えたいまの心境を伺いました。
人生の終わりが見えたからこそ、 「いまこの瞬間を楽しもう」と思える
中川さん(以下敬称略) 今日、かれんさんにぜひ聞いてみたかったのが、加藤和彦さんを中心とした伝説的なバンド「サディスティック・ミカ・バンド」の話なんです。かれんさんは1989年に、第2期のボーカルと して参加していますよね。
桐島さん(以下敬称略) 当時の私は音楽にも詳しくないし、歌えるわけでもないし……。でも素敵な先輩方に声をかけてもらったし、ア ルバムを1枚出して、コンサートを2日間やって終わりという話だったので、軽い気持ちで引き受けたんです。
中川 どんな経緯で話が来たんですか?
桐島 なんで私だったのかな? たまたまパリに滞在していたときに話があって、オーディション代わりに松任谷由実さんの『ベルベット・イースター』という荒井由実時代の曲を歌ってほしい、とCDが送られてきたんです。歌ってはみたけど私があまりにも下手だから、毎日ボーカルレッスンを受けるように言われて。スタジオへ行くと加藤さん、小原礼さん、高橋幸宏さん、高中正義さん……とそうそうたるレジェンドがいるわけですよ。
中川 緊張はしませんでしたか?
桐島 いえ、まったく! スタジオに行くのが毎日楽しみでした。皆さん知的でおしゃれで、話も面白くて。きっと私が生意気で物怖じしなかったから新鮮だったんじゃないかな。すごく可愛がってくれました。あくまで、期間限定のお祭り騒ぎのようなプロジェクトでしたし。
中川 その遊び心のある感じも素敵だったんですよね。それと、今回はかれんさんのお母様で、エッセイストの桐島洋子さんの話も伺いたくて。というのも、うちの母もそうですが、ある世代の女性にとって、洋子さんは新しい女性の生き方を提示した憧れの存在ですよね。数年前には、アルツハイマー型認知症を患っていることも公表されましたが……。
桐島 10年前、私の誕生日のお祝いに家族でスリランカへ行ったんです。そのときに母の様子がおかしいな、と。帰国後に検査を受けたらアルツハイマーだとわかって。よりによって、あんなに頭の切れる母が?とショックでしたね。そこから7年間、妹のノエルが一緒に住んで介護していましたが、やはり負担が大きくて。いまは住み込みで介護してくれる方を見つけて、お願いしています。先週も会ったばかりですが、体は元気。認知症になって、ようやく「普通のやわらかい女性」になった気がします。昔は会うたびに政治や本の話を持ちかけられて、ちゃんと答えられないと「こんなことも知らないの?」という感じでしたから。
中川 介護は家族で対処するのではなく、プロの手を借りることも大事ですよね。
桐島 そうじゃないと家族も共倒れになってしまいますから。妹が母と暮らしていたときも、介護に関する心配ごとや不満はすぐに伝えてもらって、妹と弟と会議をして乗り越えました。
中川 きょうだいの間でしっかり話し合える関係性があるのはいいですね。
桐島 子どものころから、破天荒な母親の元で力を合わせてサバイバルしてきた3人なので(笑)。絆は強いんですよね。
中川 ちなみに、家族全員で誕生日に旅行へ行くのは恒例なんですか?
桐島 コロナ禍で数年は中断していたけど、毎年どこかに行きますね。今年は私の還暦祝いで、バンコクとラオスへ。旅行中は毎日赤い服を着ました(笑)。
中川 60代になる心境はいかがですか?
桐島 この年齢になると、自分の限界が見えてきますよね。残りの時間でなにをするか、という逆算の人生になる。でも、それは悪いことじゃない。海外旅行にしても、若いときは何回でも行けると思っていたけど、もしかしたらその国へ行くのは最後になるかもしれない。だからこそ、その瞬間を「思いっきり楽しまなきゃ」というマインドでいられるんです。
桐島かれんさん
1964年、神奈川県生まれ。モデルとして活躍する傍ら、ファッションブランド「ハウス オブ ロータス」のクリエイティブディレクターを務める。YouTubeチャンネル「桐島かれんathome」では、日々の暮らしや旅についても発信。近著に『ペガサスの記憶』(桐島洋子、かれん、ノエル、ローランド共著/小学館)がある。
撮影・インタビュー/中川真人〔CUBISM〕 スタイリスト/佐伯敦子 ヘア&メイク/重見幸江〔gem〕 文/工藤花衣
※素敵なあの人2024年11月号「フォトグラファー中川真人のまことのはなしVOL. 9」より
※掲載中の情報は誌面掲載時のものです。商品は販売終了している場合があります。
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