これまでのシニア層とはセンスも価値観も大きく異なるいまの60代。“新しい大人世代”としてどうありたいか、日々修行中のイラストレーター植草桂子さんのエッセイ。今回は「だし」のお話です。
私が30代半ばだったころ、私たち世代はまだバブルの余韻を残し、なにもかもが滅茶苦茶忙しかった。そんなとき、仕事先の編集者さんとの打ち合わせ終わりに、家庭料理についての雑談をした。
「きちんとだしをとってまでごはんを作れないですよねぇ」と、私は自分の日常を口にして軽く共感を得ようとしたら、「うちはとっているんですよ〜」と軽く答えが返ってきた。ものすごく忙しいはずなのに、この人は仕事も食事も手抜きしないのか。私は急に恥ずかしくなった。
天然とか無添加というパッケージに安心して使っていた市販のだしパック。私は和食の基本であるだしも自分でとれないんだ。この思いはしばらくモヤモヤと続いた。40代に入って、和食に限らず日本のことをよく知らない自分がもっと恥ずかしくなり、茶道を習い始めた。お点前のお稽古というより、日常を慈しむことの大切さが身にしみて、日々の食事を見直したくなった。
「日本料理を習おう!」基本が勉強できればそれでいいやと習い始めた料理教室は、結局10年続いた。その基本から生まれる滋味深い味わいに、私の胃袋が通い詰めたのだ。やはりきちんと手をかければきちんとおいしいものができる。その後、わが家の食生活は大いに変わった。
ときどき、友達から「いまさらほかで聞けないんだけど、だしってどうやってとるのが正解?」と聞かれることがある。地方によっても好みによってもだしはさまざまだから正解はないけど、基本に忠実にとればいいだけよ。ただし日常的にね。実のところ日本のだしは、どこの国のスープよりも短時間で誰にでも作れるもの。こんなに簡単で、食事がおいしくなるものを日常的に自分で作らないのはもったいないと思うのだ。
イラスト・文/植草桂子
※素敵なあの人2025年1月号「植草桂子の気分だけでも大人修行 vol.15」より
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