身近な人のちょっとした行動にイライラしてしまうこと、ありますよね。そんなことが続いたら、一緒に旅したり、環境を変えたりするのもいいかもしれません。
年をとると丸くなる、といわれているが、必ずしもそうとは限らない。さまざまな経験から多面的に物事を見るようになり、高齢となって寛容になる人もなかにはいるだろうが、人間、そう簡単に性格が変わることもなく、年をとると自分の嫌な面がますます色濃く出るような気がする。
仕事を続けていようがいまいが、日々しなければならないことや、つきあう人間もほぼ同じという日常のマンネリ。そこに体力や集中力の衰えが加わり、スムーズにことが運ばないことに対するストレスが、怒りとなって発散される。そして、その怒りは身近な人にぶつけられるのだ。
まあ、私の場合は夫ですね。いや冷静に考えると、心に大人の余裕というものがない自分に非があるのはわかっているのだが、ついやっちまうんですよね、犬も食わない夫婦げんか。
夫婦げんかの原因なんて、大概の場合はささいなことから始まるものだ。まず夫は洗面台を水はねなしでは使えない。いや水浸しにしてもいいが、そのビショビショになった場所を拭いてくれ。いや、ちょっと待て、拭いて濡れっぱなしのタオルを丸めておくな、と怒りの連鎖は止まらない。1回着たシャツをしまい込むから、クローゼット全体が加齢臭で満ちてしまう。すると夫が嫌な臭いをごまか
す芳香剤を使うのだが、わたしゃその匂いが嫌いなのよ、という怒りが湧いてくる。油まみれの食器を重ねてシンクに置かないで! 新聞は読んだら、ぐちゃぐちゃにたたまないで!
こんなことは日常の小さなことだが、何回いっても彼は直さないから腹がたつ。そうでしょ奥さん、わかってくれますよね!?
ところが、この夏にひょんなご縁から、長野県にある山荘を譲り受けて、仕事が終わると度々そこに滞在するようになった。不思議なことに、その山荘では(いまのところ)夫婦げんかはないどころか、ミョーに仲よく山道の散歩などして心豊かに過ごしている我々なのだ。
そこで思い出すのが、年をとって短気になるのは柔軟性がなくなってくるからだという説。その柔軟性を高めるには、日々のパターン化した暮らしに変化をつけて、未経験のことを受け入れるというもの。そして、けんかする相手がいなくなって寂しい思いをしている母を見るにつけ、けんかをするにも体力がいるのだから、まだ元気な証拠かな、と思うことにした。
イラスト&文/石川三千花
※素敵なあの人2025年2月号「石川三千花の素敵とそれなりの間にはvol.55」より
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