これまでのシニア層とはセンスも価値観も大きく異なるいまの60代。“新しい大人世代”としてどうありたいか、日々修行中のイラストレーター植草桂子さんのエッセイ。今回は「シニアがペット(家族)と暮らすこと」のお話です。
私の生活に欠かせないのは毛むくじゃらの家族。要するに犬とか猫とか、そういった動物たち。結婚後、これまでに5匹の犬と1匹の猫とつき合ってきた。現在は犬2匹が家族の一員として暮らしている。
1匹は16歳の介護ど真ん中のお婆さん犬、もう1匹は7歳のおばさん犬だ。どんなに年を取っても愛しいことに変わりない。ともすると年を取って、いろいろ不自由になった体で粗相をしながらも一生懸命生きている姿が、なおさら切なく愛おしくなる。こちらが責任を持って世話をすることができれば、一生涯犬や猫と暮らしていきたいと思う。
しかし、これからの人生は自分が老いていくという大前提で物事を考えなければならない。今後、新たに毛むくじゃらの家族を迎え入れるなんて、無理なことなのだろうか。老いるに従い彼らの面倒を見られなくなるリスクが高まる。万が一の場合、その後の犬生や猫生を大切にしてくれる後見人をきちんと決めておくべきなのだろう。
先日も身近なシングル女性がこれからの闘病生活を過ごすうえで、やむなく2匹の犬を手放すことになった。私の信頼しているペット関連の仕事やボランティアをしている方々の力を借りて、“誰とでも陽気にやっていける”1匹は新しい里親さんのもとへ、もう1匹の“飼い主ベッタリちゃん”は長期間預かってくれる友人に委ねることとなった。協力してくれる人たちがいるのはとても有難いことだが、それでも断腸の思いで見送っていた。
犬や猫は、その存在だけで人を和ます力がある。私はときどき、セラピードッグ活動に参加して老人施設等を訪問しているのだが、話しかけても全く無反応な認知症の方に犬を見せるだけで、笑みを浮かべ声を発するのに驚かされることがある。人間の百の言葉より、ただそこにいる1匹の犬の勝ち。なんだか『北風と太陽』のよう。
先述の知人女性の闘病後の暮らしにも“ベッタリちゃん”が戻ってきて、大いなる活力をもたらすことを願っている。そして私は、できることなら死ぬまで毛むくじゃらたちと暮らしたいから、安心してお願いできる後見人を見つけておかなければいけないと思っている。実はかなり難題なのだが、この先いちばん大切なことでもあるのだから。
イラスト・文/植草桂子
※素敵なあの人2025年11月号「植草桂子の気分だけでも大人修行 vol.25」より
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